(株)錦タクシーの創業者である濱田修は、終戦後シンガポールより引き上げ、広島タクシーから権利を借りタクシーに乗務していました。1951年、「日本一のタクシー会社を作りたい!」という想いのもと、出資者他3名とともに「日本タクシー」を設立。3年後の1954年には、他の出資者より権利を買い取り、(有)錦タクシーとして再スタート、現在のニシキタクシーへとつながっています。
1960年代から80年代にかけて、経営統合や旅行業などの他分野への参入など、事業を拡大してきました。 また、広島初となるAVM無線(コンピューターによる車両位置自動検索無線)を導入したりと 、様々な先進事例を他社に先駆けて取り組んできました。
そんな折、グループ会社であるマツダ交通の社長を務めていた濱田茂治が急逝。兄茂治の逝去を受け1989年、現在の社長濱田正博が入社しました。
1990年代からは、「ニューニシキ計画」を打ち出し、今まで以上にサービス・マナーに関して力をいれ教育してきました。これが現在のニシキの接客サービス力の基となり、ニシキブランド確立の礎となり、現在のニシキタクシーに至っています。
さらに近年では、広島では初となる「全国子育てタクシー協会」に加盟し、地域貢献・社会貢献にも努めてます。
| 1951年9月 | 一般乗用旅客自動車運送事業、日本タ クシーを広島市中区土橋町3番10号に設立 |
|---|---|
| 1954年12月 | 有限会社錦タクシーが認可される |
| 1969年10月 | 有限会社大野タクシーが認可される |
| 1969年12月 | 宮島タクシー有限会社をM&Aにより経営統合 |
| 1971年2月 | 通称「マル協」と呼ばれるタクシー協同チケット株式会社を、濱田修が中心となり共同出資により設立 |
| 1980年 | 事業主体を中区土橋町より現在の西区中広町に移転 |
| 1980年11月 | マツダ交通株式会社をM&Aにより経営統合 |
| 1982年4月 | JTB代理店ニシキトラベルが認可され、旅行業分野に参入 |
| 1982年12月 | 濱田修主導で共同出資によりLPオートガスの協同購入販売事業組合を設立 |
| 1986年7月 | 有限会社宮島交通をM&Aにより経営統合 |
| 1987年4月 | 特定大型車両(ジャンボタクシ-)が認可され、当初は15台で営業を開始 |
| 1987年8月 | 広島では初となるAVM無線(コンピューターによる車両位置自動検索無線)を導入 |
| 1988年10月 | 運転代行事業が認可され、運転代行業に参入 |
| 1989年8月 | マツダ交通社長に濱田修が就任 |
| 1990年12月 | 一般貸切旅客自動車運送事業、ニシキ観光(バス)が認可され観光バス分野に参入 |
| 1993年4月 | 配車センタ-事務所を土橋町より中広町に移転 |
| 1993年6月 | ハイヤーが認可され、ハイヤー業に参入 |
| 1994年5月 | 自家用自動車運行管理事業、ニシキVIPが認可され、運行管理業に参入する |
| 1994年9月 | LPガス取扱販売事業、オーノオートガススタンドが認可され、大野町にてオートガススタンドを開業 |
| 1995年2月 | 指定自動車整備事業(民間車検)ニシキ自動車工業が認可されカードックニシキを開業、民間車検業に参入 |
| 1995年12月 | 有限会社から株式会社へと変更 |
| 1996年7月 | 広島西飛行場タ-ミナルビル開発事業、観光物産館メイプルプラザが認可されディベロッパー・飲食物販業に参入 |
| 1996年10月 | 宮島交通乗合旅客運送事業(メイプ ルライナー)が認可される |
| 1998年4月 | 広島県養護学校スクールバス事業が認可される |
| 1998年5月 | 広島市リフト付き福祉タクシー認可 |
| 1998年9月 | CTIシステムを導入し営業推進力を強化 |
| 2002年7月 | 観光物産館メイプルプラザを閉館 |
| 2006年3月 | マツダ交通のタクシー部門をニシキタクシーへ移管 |
| 2006年6月 | マツダ交通・大野タクシーのバス部門をニシキタクシーへ移管 |
| 2006年12月 | 広島では初となる「全国子育てタクシー協会」に加盟 |
| 2007年5月 | ホームページを開設 |